大分地方裁判所 昭和41年(わ)589号 判決 1974年3月20日
被告人 三島好美
大一四・三・一〇生 東亜航空操縦士
菅野辰雄
昭三・五・二四生 同右
主文
被告人両名は無罪。
理由
第一本件公訴事実
一 本位的訴因
被告人両名は、いずれも富士航空株式会社所属操縦士であつて、被告人三島は同社の東京、大分、鹿児島間定期航空路線の機長として勤務し、被告人菅野は副操縦士として勤務し、かつ機長見習期間中であつていずれも旅客輸送のための航空の業務に従事していた者である。
昭和三九年二月二七日被告人両名は同社操縦士藤江浅一と共に同社所有のコンベアー二四〇型双発旅客機JA五〇九八号に操縦士として乗組み東京空港から大分空港を経て鹿児島空港に至り、同日午後二時四四分頃同機に乗客三七名、スチユワーデス二名を乗せて同空港を離陸し大分空港に向つたのであるが、その際被告人菅野が機長見習のため正操縦士席について正操縦士としての操縦操作に当り、機長である被告人三島は副操縦士席について教官としてこれを指導すると共に副操縦士としての操縦操作に任じ、同日午後三時三〇分頃大分空港上空にさしかかり、同機の総重量約三八、八五〇ポンドをもつて全長一、二〇〇メートルの同空港滑走路に北西方から進入着陸しようとした。
かかる際、多数の人命をあずかる旅客輸送用飛行機の操縦士としては、同機は一、五〇〇メートル以下の滑走路に着陸する際の重量限界は三九、〇〇〇ポンドとされているのであるから、限界に近い重量をもつてこの短い滑走路に着陸するに当つては着陸のためのプロペラ・リバース装置が正常に作動する限り滑走路末端通過速度が多少大きくても特に危険は考えられないとはいえ、同装置は複雑な電気回路を介して作動することになつているのでこれに故障あるいは不具合の生ずることあるを予め十分に考慮して、その場合にはフツト・ブレーキまたはエア・ブレーキにより安全に停止し得るよう同機について主務官庁の認可を得た基準速度を尊重し前記総重量において基準とされる一〇四ノツト(約一九三キロメートル毎時但し計器指示対気速度)またはなるべくこれに近い速度で滑走路に進入してその後の操作に必要な余裕を保持すべく、且つ着地後リバース操作を行つた際はリバース音の状況、推力の増減、エンジン回転計の昇降及びリバース・ライトの点灯の有無に注意し、リバースが正常に作動したか否かを速やかに覚知し、これが正常に作動していることを確認するまでは出力を加えず、またその不作動に気付いたときは速やかに出力をしぼると共にフツト・ブレーキないしエア・ブレーキを適確に操作し制動効果を確認するまでこれを戻さないで制動力を確保し、できるだけ速やかに機を停止するように努め、もつて滑走路外逸走等の事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある。
しかるに被告人両名は前記各注意義務を怠り、被告人三島は着陸に先立ち被告人菅野に対し前記基準速度を約一一ノツト(約二〇キロメートル毎時)超過した約一一五ノツト(約二一三キロメートル毎時但し計器指示対気速度)で滑走路末端を通過進入するよう指示し、被告人菅野はこれを了承してこの過大な速度で進入したため着地点が滑走路末端から約三〇〇メートル附近までのび、且つ着地速度は約一〇二ノツト(約一八九キロメートル毎時但し計器指示対気速度)の高速となつてその後の諸操作に必要な余裕を著しく減殺し、また着地後リバース操作を行つた際、被告人三島はプロペラが不完全ながらリバース音を発したのに安心して更にスロツトル・レバーを引いて加速し、また被告人等両名共リバース音の状況、推力の増減、リバース・ライト点灯の有無等に十分な注意を払わなかつたため、電気回路の故障により左プロペラのみリバースして右プロペラがリバースせず機はわずかに左偏向しようとし、リバース音にも異常あり、前進推力が増加し、リバース・ライトが点灯しなかつたのにもかかわらず、約九秒間にわたつてリバースに異状ありと気付かずリバースの異状に気付いたとき機は既に滑走路南東端より約三八〇メートルの地点に達していたのでこれに気付くと共に被告人菅野がスロツトル・レバーを前方に押して出力をしぼり、被告人等両名共フツト・ブレーキを踏んだが機速大なるため揚力が働いて制動効果を感ぜず、その際リバースの異常と滑走路の残りが少なくなつたことに狼狽していた被告人等はこれも故障なりと即断してフツト・ブレーキの操作を中止し、次いで被告人菅野においてエア・ブレーキを操作したが、その効果を確実に感ずる前にブレーキ・ノブを数回元に戻して操作をやり直し無用な時間を空費して減速効果を遅らせるにいたつた。
かくして機は滑走路南東端までわずかに約九〇メートルを余す地点に達し機速も十分衰えないので被告人三島は万一の作動を期待して再リバース操作をしたことから機は再び加速しつつ滑走路末端をこえてオーバーラインに入り、ここに被告人菅野は前方に積載された木材への正面衝突を避け、その上に機体をのりあげるようにして停止させようとして操縦桿を引いたため、同機をオーバーライン末端からわずかに浮揚進行させ右材木及び裏川堤防に機体を引つかけて川岸に墜落破壊炎上させ、よつて別紙一のとおり乗客日高キミ外一七名及びスチユワーデス金沢信子外一名を火傷死に至らせ、別紙二のとおり乗客姶良源治外一八名及び前記藤江浅一に対し治療五日ないし四月を要する骨折擦過傷打撲傷等を負わせたものである。
二 予備的訴因
前記本位的訴因中、「電気回路の故障により左プロペラのみリバースして………わずかに左偏向しようとし」の部分を「両リバース共一旦リバースし始めながらその電気回路に過電流が流れてサーキツト・ブレーカーがトリツプし、瞬時にしてもとの正ピツチ角に戻つたことから」と、「約九秒間」を「約九秒ないし一一秒」とそれぞれ改めるほかは前記のとおりである。
第二事実の概要
当裁判所が関係各証拠を総合して認定する事実関係は、つぎのとおりである。
一 被告人両名の飛行経歴、資格等について
1 被告人三島は、島根県立大田中学校を四年で中退して以来、米子地方航空機乗員養成所本科に入所したのをふり出しに、その後陸軍教育飛行隊、中華航空株式会社等を経て昭和三〇年二月航空自衛隊に入隊、同三七年二月同隊を退職し同月一三日付で富士航空株式会社に入社、同年一〇月一九日付で定期運送用操縦士の資格を得、同三八年二月二〇日付で同会社内での教官としての辞令を、同年六月二九日付で東京―高松―大分―鹿児島の路線での機長路線資格の認定をそれぞれ受け、本件事故の発生した同三九年二月二七日当時までに総飛行時間五、五八二時間(うちコンベア二四〇型機のそれは九九七時間)の記録をもち、大分空港には同三七年一二月ごろから、機長として五〇回位、副操縦士として五〇回位いずれもコンベア二四〇型の旅客機で着陸した経験を有し、本件事故後は会社合併により日本国内航空株式会社、さらに東亜国内航空株式会社にそれぞれ所属する操縦士として現在に至る者である。
2 被告人菅野は、仙台市立仙台工業学校を三年で中退したあと、太刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊に入隊するなどし平壌で終戦を迎えて復員、昭和二八年一月陸上自衛隊に入隊、同三〇年九月には海上自衛隊に移り、同三七年九月同隊を退職し、同年一〇月一日付で富士航空株式会社に入社、同年一二月一日付で事業用操縦士の、同三八年六月二八日付で定期運送用操縦士の各資格を取得し、本件事故の発生した同三九年二月二七日までの総飛行時間は二八〇〇時間(うちコンベア二四〇型機のそれは六〇〇時間)であり、同三八年四月以降は同会社内の辞令により、専ら、東京―高松―大分―鹿児島を結ぶ定期路線でコンベア二四〇型機の副操縦士として旅客運送業務に従事し、あわせて同三九年二月一〇日以降は機長見習中であり、本件事故後は会社合併により日本国内航空株式会社さらに東亜国内航空株式会社にそれぞれ所属する操縦士として現在に至る者である。
(以上認定事実の証拠の標目)(略)
二 本件事故機(コンベア二四〇型双発旅客機JA五〇九八号)の構造、形状、性能および整備状況等について
本件事故機は、昭和二三年三月二八日コンベア社で製造されて以来アメリカンエアラインズ社で就航していたのを同三七年五月富士航空株式会社が購入した四〇人乗り旅客用双発プロペラ機(全長七四フイート八インチ、自重三〇、一八二ポンド)であり、着陸性能は、路長一、五〇〇メートル以下の滑走路に着陸する際の重量限界は三九、〇〇〇ポンドであり、路長一、二〇〇メートルの滑走路にはリバース(プロペラブレードのピツチ角をマイナスに切り替えることによつて逆推力を得る機構)を用いないでもその六〇パーセント以下の着陸滑走距離で着陸し得る。なお操縦装置については、ステアリングハンドル(着陸滑走時における機の方向を保持変更する装置)とエア・ブレーキノブ(緊急空気ブレーキ用ノブ)が正操縦席側にのみ設備されているほかは操縦桿、スロツトル・レバー(汲気調節桿)、フツト・ブレーキ等必要な装置は正・副両操縦席に設けられ相互に連動して作動する仕組になつている。同会社購入後は定期的に点検、整備がなされるとともに、同三九年二月二七日(本件事故当日)の朝、東京を出発するにあたつてなされた飛行前点検(地上試運転)、鹿児島空港での寄航地点検、同空港出発時の外部点検、始動前点検、離陸前点検さらに大分空港着陸に際しての着陸前点検等では、いずれも機体、発動機、プロペラ、操縦系統、ブレーキ等飛行機自体の構造、機能上の異常は認められなかつた。
(以上認定事実の証拠の標目)(略)
三 本件事故発生の概況
1 東京から鹿児島まで
本件事故当日の会社の運航計画、乗務割当によれば、九〇一便(東京―鹿児島間)中、東京―大分間は機長・藤江、副操縦士・菅野、大分―鹿児島間は機長・藤江、副操縦士・三島、九〇二便(鹿児島―東京間)中、鹿児島―大分間は機長、三島、副操縦士・藤江、大分―東京間は機長・三島、副操縦士・菅野(ただし、この際、菅野は機長訓練のため機長席につき三島は機長兼教官として副操縦席につくこととなつていた。)と予定され、これに従い東京(羽田)空港出発に際しては藤江が正操縦士、菅野が副操縦士として同社所有のコンベア二四〇型双発旅客機JA五〇九八号(以下「事故機」という。)に乗務し、同日午前九時七分同空港を離陸、予定時刻より約三〇分早く同日午前一一時四〇分ころ大分空港に到着したが、右の飛行ないし離着陸の際にもリバース、フツト・ブレーキその他機体の装備に整備上機能上の異常は認められなかつた。
しかして大分空港着陸後、大分航空株式会社事務所における三島、藤江、菅野の三者間の話し合いの結果、九〇二便・大分―東京間では菅野が機長見習をすることが予定されているが、東京(羽田)空港への着陸が夜間となりその操縦が困難となるため、未だ基本訓練も終つていない同人が正操縦士として機長席につくことは適当でなく、他方鹿児島―大分間の方が乗客が多く機の重心位置が安定し、却つて離、着陸の操縦操作が容易になることを考慮して菅野の機長見習訓練は九〇二便、鹿児島―大分間で行なうよう乗務編成区間を変更することとなつた。
そして、九〇一便大分―鹿児島間は当初の運航計画どおり、藤江が正操縦士、三島が副操縦士として乗務し、同日午後〇時四五分大分空港を離陸し、同日午後一時三〇分ころ鹿児島空港に着陸した。
2 鹿児島空港離陸から大分空港着陸準備まで
鹿児島空港では被告人両名で同機の機体の外部点検をしたのち、先に変更した乗務編成にしたがつて被告人菅野が正操縦士席、同三島が副操縦士席(藤江は控操縦士として操縦席の後部にあるジヤンプシート上)にそれぞれ着席して始動前点検を行つたが、そのころ被告人三島は、同菅野から大分空港着陸前滑走路末端付近において機首引起し操作をする時点における同機の速度を問われ、同人の着陸操作を容易にしようとの配慮から日頃の速度より多少多目の一一五ノツトを同人に指示した。その後諸点検を終り、乗員は右三名のほかスチユワーデス二名乗客三七名を乗せ、離陸総重量四〇、四〇〇ポンドで同日午後二時四四分管制塔の承認をうけて南方に向けて離陸、上昇し、左旋回して航路に進入、九、五〇〇フイートで水平飛行に移り巡航した。
その後祖母山上を通過して着陸のため降下率一分間につき七〇〇~一、〇〇〇フイートの割合で高度を下げて行き、同日午後三時三〇分ころ、大分空港南方約一五マイル、高度約五、〇〇〇フイートの地点にさしかかつたとき、被告人三島が管制塔に着陸指示を要求したところ、同管制塔からは「ランウエイ一二、風は六〇度一〇ノツト、左場周経路から入れ。」との指示をうけた。
ところで同空港は、大分市花津留に位置し、滑走路は運輸省航空局大分航空保安事務所の管理する同所国有地内の中央付近にほぼ東西に長く設置してあり、全長一、二〇〇メートル幅員三〇メートルのコンクリート路面部分と、その両端にそれぞれ接続する長さ各六〇メートルのアスフアルトによつて舗装されたオーバーラン(過走帯)より成り、また同空港の本件事故発生前後における気象状況は、北東八ノツトの風、視程二〇マイル、天候は晴で事故機の着陸に格別の影響を及ぼす事情はなかつた。
被告人らは同機のフラツプを一六度に下げ脚を降して降下を続け、その後被告人菅野の要請により同三島が着陸前点検をなしたが、その際にも再度、同人は菅野からの質問に対して、滑走路末端付近で着陸のため引起しを始める時点での速度を一一五ノツトと指示した。
同機はさらに旋回、降下を続け、やがて左場周経路の第二旋回点と第三旋回点との中間付近に約一、二〇〇フイートの高度で入り、この辺りで被告人三島はプロペラ回転調整レバーを操作してエンジンの回転数を二、三〇〇に上げ被告人菅野に対し「着陸前点検完了」と通報したところ同人は「了解」と応答した。
その後、第三旋回を高度約一、〇〇〇フイート、速度約一三五ないし一四〇ノツトで、第四旋回を高度約五〇〇フイート、速度約一三〇ないし一三五ノツトでそれぞれ通過、いよいよ最終進入経路に入るころ被告人菅野が「フラツプ二一度。」と呼称したのに応じて同三島は計器を見ながらフラツプを二一度に下げ、高度約三〇〇フイートの地点に達したとき速度計の指針が一四〇ノツト辺りを指しているのを認め、「速度が速い。」と注意を与え、菅野はスロツトル・レバーを引いて出力をしぼつた。この間被告人三島は、同菅野の依頼により操縦桿に手をそえ、「はい、ここでフラツプ全開。」と呼称して自らフラツプを全開にする操作をし前記滑走路への着陸、進入態勢にはいつた。
3 滑走路への進入、接地から事故発生まで
ついで事故機が滑走路末端付近にさしかかつた同日午後三時三〇分ころ被告人菅野は機速がやや大であつたことから接地点をできるだけ手前にするため、機の高度を低くもつていくのが得策と考え、滑走路末端上空を高度約一五フイート、速度約一一五ノツトで通過進入した後、機首を若干引起して接地態勢に入つたが機が沈まず、機速も落ちないので、被告人両名共に操縦桿を押して機首が上るのを防ぎ、その結果機は水平に近い姿勢となり、接地点は予定よりも伸びて末端から約三〇七メートルの地点(以下滑走路上の地点についてはすべて滑走路北西側末端を起点とする。)に時速約一〇〇ノツト強の速度で前車輪と主車輪とが殆んど同時に接地した後、軽くバウンドして再び約三八一メートルの地点に右主車輪から接地続いて前車輪も接地して滑走にはいつた。
前車輪が接地すると同時に被告人菅野が「ラツチ」(リバースロツク)と呼称し、同三島は「ラツチ」と復誦して左手でラツチを引き続いて菅野は右手でスロツトル・レバーを引いてリバース範囲にいれマツプ計(吸入圧力計)で一七インチさらに引き続き一九ないし二二、三インチ位までレバーを押し下げ、それから二・三秒後には、同人はプロペラがリバースになつていくときのフレアー音を耳にした。他方被告人三島もリバース時に見られる回転計指針の特異な昇降変化を確認するとともにプロペラ音の変化も聞きプロペラピツチがリバース側に変つたと判断したのであるが、丁度そのころ同被告人は、機がわずかではあるが急に左方に偏行したのに気付き、被告人菅野に対して「真直ぐ、真直ぐ。」と注意したが(被告人菅野は機の偏行と注意に気付かなかつた)ほどなく右機の偏行は直り正常に滑走し出したため、改めてマツプ計を確かめたところ、未だ二二、三インチ位しか指していなかつたので、直ちに自からがスロツトル・レバーを三〇インチ位まで引いて出力を加えた。
一方被告人菅野は、前記のとおりリバース操作後スロツトル・レバーを二二、三インチまで引いた状態で減速感がなく教官である被告人三島から何の指示もないことに多少の不安を覚えリバースライトを見たらこれが未だ点灯していないことに気付き、リバース作動の有無をチエツクするため更に出力を五インチほど加えてみたところ、逆に推力を感じたのでリバースの故障を確知し(少くともこの時点でリバースは、左側プロペラのみいつたん正常にリバース作動しかけていたものが故障し、最初からリバースしなかつた右側プロペラとともに前進ピツチに切り替つていたものと推認される。)直ちに「リバースが効かない。」と叫ぶと同時にスロツトルレバーをリバース範囲のアイドル位置まで戻した。
(なおこの間副操縦士としての任に当つていた被告人三島は、リバースライト点灯の有無を確認していない。)
被告人三島は、同菅野の右叫び声を聞いて直ちに「ブレーキ」と叫び、被告人両名は殆んど同時に各自のフツト・ブレーキペダルを踏んだが、いずれも通常の踏み応えがなく、三島においては再度踏み直してみたがそのときも同様踏み応えを感じないばかりか、減速効果もないまま九〇〇メートル位の地点に至つた際(フツトブレーキの故障が推認される)、後部ジヤンプシートに居た藤江が「エア・ブレーキ」と叫び、これに応じて被告人菅野は直ぐさま正操縦席左前方にあるエア・ブレーキノブを右手で操作し減速を図つたがこれまた十分な制動効果が得られないまま一、一〇〇メートル位の地点にまで達し、(この際エア・ブレーキ装置も正常に機能しなかつた疑いがある)ここにおいて被告人三島は滑走路末端が目前に迫りエア・ブレーキのみでは到底滑走路内で停止し得ないと直感したため、万一のリバース作動を期待して再びスロツトルレバーをフルダウンした後、さらに強くブレーキペダルを踏み続けたが、リバースは作動せずかえつて機速は増大し、オーバーランに至つたときには約八〇ノツトに加速した。他方被告人菅野は当時滑走路東側オーバーランの約四〇メートル先に堆積されていた材木の山が眼前に迫るのを見てステアリングハンドルを右に切ると共に前輪を多少浮かせて材木の山の上に機の胴体を乗せるようにして停止させようと思い操縦桿を引いたが、加速されていた機はわずかに浮き上つたうえ前記材木の山に脚やプロペラを引つかけ、プロペラおよび機体部品を散乱させつつ約一三〇メートル東方の裏川堤防に左主翼を激突させ反転して同川敷内に墜落、炎上した。(なお、事故機のものと認められる滑走路上のタイヤ痕を図示すると別紙三のとおりである。)
この事故によつて、別紙一のとおり乗客日高キミ外一七名およびスチユワーデス金沢信子外一名が火傷により死亡し、別紙二のとおり乗客姶良源治外一八名および控操縦士藤江浅一が治療五日ないし四月を要する骨折、擦過傷、打撲症等の傷害を負つたほか、被告人三島は治療約一ヶ月を要する第一二胸椎圧迫骨折、右側頭部打撲症の、また被告人菅野も治療約三週間を要する第一二胸椎圧迫骨折の各傷害を受けたものである。
(以上認定事実の証拠の標目)(略)
四 なお、前記三の3で認定した事実のうち、被告人両名の業務上過失の有無を判断するについて特に重要な背景事実の詳細ならびにその認定根拠は、つぎのとおりである。
1 いわゆる「フエンス」の位置および滑走路末端通過速度について
本件事故機の大分空港着陸時の速度について、検察官は、いわゆるフエンス・スピードとは航空機が滑走路に着陸する際その末端地点(スレツシユホールド)を通過するときの速度であるところ、被告人両名はあらかじめ右フエンス・スピードを如何ほどにするかについて相談した結果、操縦席頭上に貼つてあつた正規の速度表を参考に一一五ノツトで進入することに決め、現実にも大分空港滑走路西末端を一一五ノツトで通過、着陸したと主張するのに対し、弁護人は当時被告人両名が理解していたフエンス・スピードとは着陸のため機首引起しを行うときの速度であり、事故機が大分空港着陸に際し機速一一五ノツトで通過した地点は、滑走路末端でなく、それより約一七〇メートル手前の飛行場外周境界線に相当する大分川右岸堤防付近であつた旨主張し、被告人両名はいずれも当公判廷において同旨の供述を行つているので以下検討する。
最初に、いわゆる「フエンス・スピード」とは、本件事故機に関する運航規程第一九章飛行特性および性能図表第九頁のヒヤリズ・ハウの表中、フラツプ三九度におけるノーマル・オーバー・ザ・フエンス・スピードとして掲記されている着陸時速度を指称するものであることは、被告人両名があらかじめ本件事故機の大分空港着陸時の速度を決めるにつき操縦席頭上に貼つてあつた前記運航規程の性能図表中のフエンス・スピードを参考にした事実からも優にうかがえるところであるが、かつて運輸省航空局の主席調査官であり、また本件事故に関する主任調査官でもあつた楢林寿一の鑑定書および供述調書によれば、右にいう「フエンス・スピード」は滑走路末端上空(一五~五〇フイート)における着陸時の通過速度であり、現在一般に用いられている「スレツシユホールド・スピード」と同義であるとし、しかも航空局においては本件事故機の運航規程を認可する際その旨航空会社に申し渡し指導もした旨述べられているところからみると、「フエンス・スピード」にいう「フエンス」即滑走路末端というのが公式見解であつたものと認めざるを得ない。
しかしながら、一方において、右のような「フエンス・スピード」の意義が本件事故当時においてしかく明確な形で被告人両名を始め富士航空のパイロツト達に対して周知徹底されていたとは認められない。
すなわち、被告人両名の当公判廷における供述によれば、本件事故前富士航空のパイロツト仲間で「フエンス・スピード」とは何かについて議論を交わしたことがあり、その際確かな結論は得られなかつたが、被告人三島は「着陸のため機首の引起しを始める地点で滑走路末端から約一四〇~一五〇メーター手前付近」、被告人菅野は「スレツシユホールドでなくその手前一〇〇メーター~二〇〇メーター近辺の地帯(ゾーン)で一般に最終着陸操作(機首引起し)を行う付近」の速度と解釈していたというところ、これを被告人両名の捜査官に対する各供述調書ないし手記等に基づいて検討してみるのに、被告人三島はほとんど一貫して「フエンス・スピード」は着陸前機首引起しを始めるときの速度である旨を述べており、特に昭和四〇年一二月一日付運輸省航空局航務課作成にかかる「JA五〇九八事故調査報告書(検第一四二号中に添付)の末尾においては、滑走路末端通過速度をフエンス・スピードと指示したものでない旨を付記することで両者を別異に観念していたことを明らかにしており、被告人菅野もまた右事故調査報告書に「三島機長と同一見解です」と付記して同様の立場を表明していることなどに徴すると、本件事故当時、被告人両名は「フエンス・スピード」にいう「フエンス」を「着陸のため機首引起しを行う地点」として理解していたものと認められる。
ところで、右引起しを行うべき具体的地点に関し、被告人三島は、昭和四一年四月二一日付検察官調書中で、「引起し操作は本当は滑走路末端において行うことになつているが、短い滑走路に着陸する際はオーバーラン手前で引起しにかかる」旨供述しており、これによれば被告人両名らの理解する「フエンス・スピード」も原則としては結果的に滑走路末端通過速度と一致することになるのであるが、本件事故機の大分空港着陸に際して被告人三島が指示した「フエンス・スピード」は果してどの地点におけるものであつたかを案ずるに、まず、被告人菅野は、機長見習いとして始めて乗客を乗せた機を操縦するに当り、技術上最も困難とされる着陸操作に遺漏なきを期し、運航規程上は正規のチエツク項目とはされていないフエンス・スピードについて再度念を押して教官である被告人三島にその機速を尋ねておきながら、その地点について何らの確認も行つておらず、また被告人三島からもその指示が全くなされていない状況から察すると、被告人両名の間には右「フエンス」の地点については改めて確認し合うまでもなく相互に共通する暗黙の了解があつたものとみなさざるを得ない。
そこで、更に進んで、被告人両名が了解していた「フエンス」の地点を同人らの各供述調書等によつて推究してみるのに、被告人三島は、事故当日である昭和三九年二月二七日付の司法警察員に対する供述調書で「滑走路西端の上では一二〇ノツトの速度でした……」、同月二九日付調書で「滑走路西端の上では一二〇ノツトぐらい……」同年三月二七日付調書で「滑走路末端近くで速度一二〇ノツトになつているのを確認しました」と供述しており、さらに前記手記中でも「滑走路末端での着陸のため引き起し始める速度は一一五ノツトと通報し……滑走路末端近くでは一二〇ノツトになつているのを確認した」と記述し、さらに同四一年三月二日付検察官調書においては「大分川の上を通つて西の土手を越え桑畑を通過し、オーバーラン、滑走路末端付近に差しかかつた時速度計をちらつと見たところ一二〇ノツト位を指していたので心持ち一一五ノツトよりも速いなと思いました……(その地点は)滑走路末端の真上でなく少し手前のオーバーラン付近だつたように思います」と明確に述べられており、一方被告人菅野は、昭和三九年三月二一日付の司法警察員調書で「スピードは滑走路のはしで一一五ノツトでありました。これは計器を見ております」と述べ、同四一年三月四日付検察官調書においては、「それから大分川、土手、桑畠、オーバーランを越えて、滑走路末端を通過した時ちらつと速度計を見たところ大体予定の一一五ノツト位だつたように思います。」と明確に述べられている反面、被告人両名の捜査官に対する各供述調書のいずれにおいても、大分空港滑走路に西側から着陸進入した場合の「フエンス」が前記被告人両名の当公判廷における供述にあるような大分川右岸堤防付近であつたことの供述記載がなく、そのことはまた被告人三島自身が本件事故時の状況を想起しながら自由に作成した前記手記の記載においても同様である事情がうかがえるのであるが、結局、以上被告人両名の各供述調書ないし手記の内容を総合して判断すると、前記のとおり、被告人両名がたまたま「着陸のため機首引起しを行う地点」として理解していた「フエンス」の位置は、本件大分空港の場合、改めて両者が具体的地点を確認するまでもなく滑走路末端ないしこれに極めて近接した付近と了解していたことが推認され、同時に、本件事故機は滑走路末端上空(一五フイート上空)を約一一五ノツトの機速で通過したものと認められる。
この認定に反する被告人両名の前記公判廷における各供述は措信できない。
2 接地点および接地速度について
まず、司法警察員作成の昭和三九年三月三〇日付検証調書(検第一号)によれば、本件事故機の最初の接地点が三〇七メートル辺りであることは疑いを容れない。
ついで、同地点における事故機の接地速度について、検察官が最終的に一〇二ノツトと主張するのに対し弁護人はこれが接地速度としてはまさに適正な九〇ノツトであつたと主張するのである。
鑑定人木村秀政はその鑑定書において事故機の接地速度を九〇ノツトとしているが、その根拠を被告人らの供述に置いている(木村秀政作成の昭和四一年一一月一六日付「大分地検・乙第三、五二一号の御照会に対する回答」と題する書面)というのであつて、必ずしも厳密な科学的裏付けがあるものでなく、右被告人ら自身接地時に機速を計器で確認した事実もうかがえないので、その供述の信憑性も確かなものでない。
のみならず、前記認定のとおり、滑走路末端での事故機の速度が一一五ノツトであつた場合約三〇〇メートル地点に機速九〇ノツトで接地するということは、空中にある航空機の減速度の限界を超えるもので航空力学上もしくは現実の操縦操作上不可能であることが関係各証拠(証拠略)によつて明白であり、被告人らが滑走路末端通過後接地までに特別の減速操作を行つた形跡がないことを考慮するまでもなく、接地速度が九〇ノツトであつたと認めることはできない。
それでは、事故機の接地速度は現にいか程であつたかを案ずるに、右接地時において計器による確認のない本件にあつては結局概数的な数値によらざるを得ないが、鑑定人比良二郎の鑑定書で本件事故機が滑走路末端上空五メートルを一一五ノツトの機速で通過したときの接地速度は約一〇二ノツトと計算され、その他証人亀山忠直の尋問調書中「末端から三〇〇メートルの地点に接地するとすればその間に一〇ないし一五ノツト減速する」旨、証人松崎政夫の証言中「接地速度はラフな計算で一〇〇ノツト位になる」旨、証人楢林寿一の尋問調書中「滑走路末端速度が一一五ノツトの場合接地速度は約一〇から一五ノツト程度引いた位の速度、一〇〇ノツト位になる」旨の各証拠ならびに被告人菅野自身も検察官調書(昭和四一年三月四日付)中で「接地速度は……九〇ないし一〇〇ノツトくらい」と述べていることなどを総合すれば、事故機の接地速度は一〇〇ノツト強と認めるのが相当である。
3 接地の態様およびバウンドの有無について
本件事故機の接地状況については、目撃者の何人かが機がいつたん接地後バウンドした旨述べているのに対し、被告人両名は、前記認定のとおり滑走路末端を機速一一五ノツト、高度約五メートルで通過後の状況を、「接地直前の機首起しで機が沈まずかなり接地距離がのびると感じたので早くスピードを殺さねばと考え操縦桿を前に押して機首を落し機を滑走路に水平になる感じで接地させ」(被告人菅野の昭和四一年三月四日付検察官調書)あるいは「機が水平の姿勢まで機首を上げた時に少し伸びるのではないかと感じられたのでそれ以上機首を上げさせない様に操縦桿を前方に支えて殆んど水平姿勢で接地させ」(被告人三島の手記)たが、ランデインクは殆んどシヨツクも感じない位スムーズでバウンドするなどのことはなかつた旨供述しているので検討する。
まず、本件事故機が滑走路に接地した際に同路面上に印した車輪痕から接地の態様を推究してみるのに、前掲の司法警察員作成の検証調書(検第一号)によれば、別紙第三の図面に表示するとおり、事故機のものと認められる車輪痕として接地に関係するものとしては、約三〇〇メートル地点に左右主車輪および前車輪のものと見受けられる三つ、約三八〇メートル地点に右主車輪のものと見受けられる一つが検認されるところ(約五五〇メートル地点から約四二メートルにわたつて残されている継続した車輪痕は事故機のものとは断定できないので除外する)、その詳細をみると、最初の三つの痕のうち、右主車輪痕は三〇七・三メートルの辺り(痕の西端部、以下同じ)、左主車輪痕は三一〇・六メートル辺り、前車輪痕は三一六・五メートル辺りに印されてあつて、これが少くとも最初の事故機の接地痕と判断できるのであるが、一方で事故機であるコンベア二四〇型機の前車輪と主車輪との取付間隔は二四フイート一〇インチ(約七メートル)である事実と対比してこれをみるとき、事故機は前、主車輪が殆んど同時にいわば三点接地の形で接地したものであり、さらに厳密にはまず右主車輪が接地したのち僅かながら早く前車輪続いて左主車輪の順で接地した事実が認められ、また三八〇メートル地点の右主車輪痕はその際にブレーキ操作を行う道理がないことから考えると、少くとも右主車輪については最初の接地後いつたん浮上したのち再接地したものとみなさざるを得ない。
なお、事故機の控操縦士として着陸時操縦席後ろのジヤンプシートにいた藤江浅一は、その証人尋問調書において、接地の状況につき、「右が着いて左が着いてまた右が着いたような感じで一緒にノーズが着いたという感じです。(右がいつたん浮いたかどうかは)浮いた感じはないが、外部から見ないとわからないと思います。」と供述しており、これはまた前記車輪痕の付き方と符合するところである。
そして、右の事実に加え、本件事故当時、滑走路の傍らで工事を行つていた作業員あるいは空港関係者である整備士らがいずれも本件事故機が接地後少くとも一回はバウンドしたと目撃していること(江上久男、高山民央の検察官調書、首藤福人の司法警察員調書)および滑走路末端を早い機速でかつ高度を低く進入して接地する方法はバローニング現象(機が波型に上、下すること)などを起し易く、操縦技術上一般に困難とされており、機速が十分減衰しない時点であえて接地を図ればバウンドするおそれが大きいこと(証人亀山忠直の尋問調書、証人楢林寿一の当公判廷における供述)などを総合して考えれば、本件事故機は、前記認定のとおり、滑走路末端上空五メートルを比較的高速の一一五ノツトで通過後一〇〇ノツト強の速度で殆んど水平姿勢を保つて約三〇七メートル地点に接地したため揚力が働いてバウンドし少くとも右主車輪を僅かに浮かし再び約三八〇メートル地点に接地したものと認定するのが合理的である。
(もつとも、被告人両名を含め、事故機の乗員、乗客中、古江覚蔵一人を除いては機がバウンドした事実を指摘するものはないが、前記藤江証言からも窺えるように殆んど水平姿勢で接地した状況からみて機内にあつてこれを覚知しなかつたとしても必ずしも前記認定と矛盾すると思えない。)
4 リバース故障の状況およびその原因について
本件事故機において滑走路接地後リバース不作動の故障があつたことは被告人両名の供述関係のみによつても明らかであり、またそれが一時期左片リバース状態にあつたことも空港関係者(高山民央、佐藤博造、佐藤敬義)らの目撃によつて認めることができる。
しかしながら、被告人両名の供述からうかがえるように、被告人菅野がリバース操作をした直後僅かに機首が左偏向したが、同被告人の意識的なステアリング操作を待たないまま方向是正が行われ、その後被告人三島がスロツトル・レバーを引いて出力増加をした際には別段機首の偏向現象はなく、かえつて被告人菅野においては前進推力を感じたことなどに徴すると、前記左片リバース状態は暫時のもので、少くとも右出力増加の段階にあつては左右両プロペラとも前進低ピツチ状態にあつたものと認められるのである。
そこで改めて事故機のリバース故障の状況を勘案するのに、前記事実に鑑定人楢林寿一、同木村秀政作成の各鑑定書ならびに同人らの各証言を総合してみると、本件事故機においては、前車輪接地後被告人菅野がリバース操作をしたところ、右プロペラはリバースせず、左プロペラはいつたんリバース作動しかけ、プロペラプレイドはマイナスピツチに変化し、それに応じてリバース特有のフレア音を発したが、ピツチ角がマイナス八度(この時点でリバースライト(指示灯)が点灯し、その後かりに電気回路に故障があつても自動的にリバースが完成する構造になつている)に至らぬうちに正ピツチに戻り、結局両プロペラともにリバース不作動となる故障が生じたものと認定されるが、その故障の原因については、リバース回路のスイツチもしくはリレー類が不良となり、シヨートして過電流が流れた結果サーキツトブレーカーがトリツプしてリバースの完成が妨げられたものと一応推認されることのほか詳細は証拠上明らかでない。
5 フツト・ブレーキ故障の有無について
弁護人は、本件事故当時事故機に関して前記リバース故障に重複してフツト・ブレーキの故障も生じた旨主張し、検察官は該事実を否定するので検討する。
この点については、被告人三島は、本件事故機のリバース故障に気付くと同時にフツト・ブレーキを踏み込んだが踏みごたえが少くて制動効果がなく、再度踏み直してみたものの、ペタルが底まで倒れ込んだ感じでやはり制動効果はなかつた旨、被告人菅野もまた足先に力を入れてペダルを押えたがこれまた制動効果は感じられなかつた旨それぞれ供述している一方、本件事故直後ころ司法警察員安藤正勝が当時運輸省航空局航空課検査官である楢林寿一ほかの立会のもとに大分空港滑走路上を検証した結果別紙第三の図面に表示するとおり滑走路東側に後記エア・ブレーキ痕と覚しき数個のブレーキ痕が発見されたほかに、被告人両名がフツト・ブレーキを用いたと思料される滑走路範囲内には事故機のものと判別し得るブレーキ痕が存在しなかつたことが明らかである。
そして右の状況を前提に鑑定人亀山忠直は本件事故機のフツト・ブレーキが故障していた旨鑑定し、楢林寿一の昭和四〇年一二月一四日付検察官調書、同人の昭和四二年一二月五日付証人尋問調書は右結論を裏付けるものである。
もつとも、鑑定人木村秀政は、むしろ「ブレーキの機能には異常はなかつたと考える方が妥当である」旨鑑定し、その理由として、鹿児島空港出発時の点検でフツト・ブレーキに異常はなく、ブレーキと同じ油圧系統であるフラツプ下げ、脚出し等の機構が正常に作動していることなどを挙げており、他にこれと同旨の証拠(高山民央の検察官調書、鈴木敬の証人尋問調書等)もないわけではない。
しかしながら、点検後においても接地の際の衝撃その他不測の原因による故障が発生することの可能性までは一般的に否定し難いし、また同じ油圧系統といいながらフツト・ブレーキ機能のみに不作動をもたらす機器(ブレーキバルブ自体または同バルブとシヤトルバルブ間の油路)の故障も考えられないわけではない(木村鑑定においてもその可能性について付言している)のであるから、結局、フツト・ブレーキの故障を否定する前記の根拠は、いまだそれ程に決定的なものでないことはいうまでもない。
のみならず、かりにフツト・ブレーキが正常に作動していたとするならば、たとえ機速が速や過ぎて制動効果が得られないような場合があつたとしても、機が滑走路面を離れて浮上でもしない限り、かえつて揚力の関係で車輪自体の回転は止り易いのであるから、たとえ幾分薄く細い痕跡であろうとも、それだけにかえつて特徴のあるブレーキ痕が滑走路面に残される筈である関係からいえば、もしフツト・ブレーキの操作をした地点に対応するブレーキ痕が存在しないことが確定されたならば、それはとりも直さずフツト・ブレーキの故障を意味することになろう。
ところで、前記検証時(検第一号)に楢林寿一を補助して本件事故原因の調査に当つた富士航空整備部長の鈴木敬は、滑走路中央部付近には無数のブレーキ痕等が黒くべつたり錯綜して付着していたため本件事故機のブレーキ痕を識別することは困難であつた旨証言するので、改めて右検証結果の正確度を案ずるに、右鈴木証言の中にも述べられているとおり、楢林寿一は航空事故調査に関してはその方面の権威者と目されているところ、同人の昭和四八年三月一四日付証人尋問調書によれば、本件事故機のブレーキ痕等の探索は極めて厳格かつ綿密に行われたことがうかがわれる一方、現に右鈴木自身は判別が困難とするエア・ブレーキ痕(滑走路東端の左、右二個の痕を除く)を検出している事実から推してみても、両者の間には調査判別能力に差違があることが十分考えられるのであるから、右鈴木の前記判断をもつて前記検証結果の正確さが著しく減殺されるものとするのは相当でない。
してみると、右検証の結果に加え、被告人両者がともにリバース装置が作動しないことに気付き滑走路残部の余裕が少いとき相当速度を保つたままの本件事故機を停止させる緊急の必要に応じ揃つてフツト・ブレーキを踏み、特に被告人三島は再度にわたつて懸命の踏み込みを行いながら、両者ともに何の制動効果も感得できず、機能的には制動効果に区別はないエア・ブレーキの操作に切り替えざるを得なかつた事情をも併せ判断すれば、本件事故機のフツト・ブレーキはその時点において故障していたものと認めざるを得ない。
なお、右故障が何時何に起因してどの箇所に発生したかについては、証拠上これを確定することができない。
6 エア・ブレーキ不具合の有無について
前記検証調書(検第一号)によれば、被告人菅野がエア・ブレーキを操作したことによると認められるブレーキ痕は別紙第三の図面に表示するとおり、滑走路末端から約九七〇メートル、一、〇一四メートル、一、一二六メートル、一、一九七メートルの各地点から長さそれぞれ約二七メートル、一〇メートル、一二メートル、一八メートルの各断続する左主車輪痕が四箇、同じく一、二一五メートルの地点から長さ約一四メートルの右主車輪痕一個が残存することが認められ、右事実からはエア・ブレーキが一応有効に作動したことを推認することができる。
しかしながら、これによつてみると、右主車輪のブレーキは左主車輪に比べて二〇〇メートル以上(時間にして四、五秒)も作動が遅れた事実が明らかであるが、もともと本件事故機のエア・ブレーキ機構は一箇のブレーキノブを操作することで左右主車輪に同時均等に空気圧が送られてブレーキ作動する仕組になつており、他方ブレーキ操作時点において機が左方に傾いて右主車輪が浮き上がる態勢にあつたという形跡も見られない本件の場合、少くとも右主車輪ブレーキが直ちに作動しない不具合があつたものと推論せざるを得ない(楢林寿一作成の鑑定書、同人の第一二回公判廷における供述)。
第三業務上過失の有無の判断
一 本件事故の発生につき検察官が主張する被告人両名の業務上の過失を、公訴事実、冒頭陳述要旨ならびに釈明書等の各記載に基づき整理するとつぎの四つの過失であり、これらが相関連しながら競合したものであるというに帰する。
1 本件事故機の運航規程上同機の機種で全長一、五〇〇メートル以下の滑走路に着陸する際の重量限界は総重量で三九、〇〇〇ポンドでその限界に近い三八、八五〇ポンドの重量をもつて、しかも右の着陸重量に必要な滑走路長は約一、一七〇メートルとされているのに右必要滑走路長の限界に近い一、二〇〇メートルの滑走路に着陸しようとする場合には着陸のためのプロペラリバース装置が複雑な電気回路を介して作動する構造になつていて同装置の信頼度は必ずしも高いとはいえないのであるから同装置に故障あるいは不具合の生ずることあるを予め考慮し、他方において同機のリバース機能が不完全な場合の最少必要滑走路長は一、五〇〇メートルとされているのであるから、同装置に異常が生じた場合にはフツト・ブレーキまたはエア・ブレーキによりできるだけ速かに停止しうるよう同機について運航規程上要求された滑走路末端通過基準速度(フエンス・スピード)である一〇四ノツトまたはこれに近い即ち正負五%以内の速度で滑走路に進入(滑走路末端上空五ないし一五メートルを通過することを意味する)して着陸距離を適正化ないし短縮しその後の操作に必要な有効滑走路長を残すべき注意義務がある。
しかるに被告人三島は、機長として鹿児島空港離陸前と大分空港着陸前の二回にわたり、同菅野に対し前記基準速度を一〇パーセント以上も超過したフエンス・スピード一一五ノツト(超過許容限度は一〇九ノツト)を指示し、同被告人はまたこれを無批判に了承して、この過大なフエンス・スピードで大分空港に進入した過失がある。(以下これを「第一過失」という。)
2 被告人両名のリバース不作動の発見遅滞―
着地後リバース操作を行つた際は、リバース音の状況、推力の増減、エンジン回転計の昇降およびリバースライト点灯の有無に注意し、以上を総合して判断のうえリバースが正常に作動したか否かを速やかに確認するべきであり、多くともリバース操作を開始して約四秒もあればリバース指示灯不点灯に対する判断によつてその不作動に気付くはずであるのに、被告人両名は、リバース作動確認のため十分な注意を払わなかつたためリバース不作動に気付くまでに約九秒(予備的訴因では九ないし一一秒)もの時間をかけ、その後の操作を遅らせる悪影響を与えた。(以下これを「第二過失」という。)
3 被告人三島のリバース出力増加時期の不適切―
リバース操作を開始しても、それが正常に作動していることを確認するまでは、さらに出力を増加させてはならず、もつてリバース不正常の状態で前進推力を与えるような逆効果をもたらすことのないようにすべき業務上の注意義務があるのに被告人三島は、リバース作動が正常であるか否かを十分確認することなく、リバース音を聞いただけでそれが正常に作動していると即断してスロツトル・レバーを引いて出力を加えた過失がある。(以下これを「第三過失」という。)
4 被告人菅野のエア・ブレーキ操作の不適確―
緊急時に使用されるべきエア・ブレーキの操作にあたつては、ノブを右にまわしてブレーキをかけ十分に制動効果を感じた後、タイヤのパンクを避けるため一度ゆるめて再びかけるという操作をくり返し有効に制動力を確保する等適確な操作をなし、できるだけ速かに機を停止させて、滑走路外逸走等の事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人菅野は、右の適確なエア・ブレーキ操作をなさず、制動効果を確実に感じる前にブレーキ・ノブをオフの位置まで戻して再び右にまわすという操作を数回くり返し、そのため無用な時間を空費すると共に減速効果を減殺させた過失がある。(以下これを「第四過失」という。)
二 当裁判所の判断
右検察官の主張によれば、本件事故は前項に摘示した被告人両名の第一ないし第四の過失が相関連し、競合して発生したというのであるが、当裁判所は事故に直近の過失の有無から順次過去のそれに遡つて検討し、しかるのちそれぞれが累加的もしくは併存的に結果に影響を及ぼしたかどうかを究明していくのが相当と認め、以下前記第二において認定した事実に基づき、かつ逐次必要な関連事実をも認定しながら判断していく。
1 第四過失について
被告人菅野が、約九〇〇メートル地点(残余滑走路約三〇〇メートル)で、先にリバース故障に気付いてすぐさまフツト・ブレーキ操作に移り、その制動効果もないと覚知し、操縦席後部のジヤンプシートにいた藤江の「エア・ブレーキ」の叫びに直ちにレバーをアンリバースに戻すとともに右手でエア・ブレーキノブを操作したが結局滑走路、オーバーラン内に機を停止し得ず本件事故が発生したこと、右エア・ブレーキの作動状況を示す左右タイヤ痕が別紙第三の図面どおり、約九七〇メートル地点から断続して五箇滑走路面に印象されており、その左主車輪痕の不連続部分が一七メートル、一〇一メートル、五九メートルでブレーキ痕(約九メートルないし二七メートル)と比較して異常に長いことは既に認定したとおりである。
しかして、右のような滑走路逸脱の危険がある緊急事態にあつて正操縦席にあつた被告人菅野としては適確なエア・ブレーキ操作を行なつて可及的速やかに事故機の停止を図かるべき義務があることは当然であり、その模範的操作手順は運航規程第二三章中に定めるとおり「エア・ブレーキコントロールノブをホールド位置をわずかに過ぎる所まで時計方向に廻し直ぐホールドの位置に戻し、必要に応じてその操作を繰り返す」べきものであることも明らかである。
ところで、検察官は右のようなブレーキ痕の断続具合を根拠に被告人菅野は制動効果を確実に感じないうちにノブをオフ側にまで少くとも三回は戻してエアを抜く不十分な操作を繰り返したと主張するのであるが、一方で前記不連続部分のうちの、一〇一メートル、五九メートルの距離は当時の機速を約七〇ノツトと仮定して二、三秒の時間に計算され、その間がそのまゝノブをオフ側に廻していたものと認めるのは、事故機がまさに滑走路を逸脱しようとする場面に遭遇した職業的パイロツトが恐らくは祈るほどの気持で必死に制動を図つたであろう操作としてはいさゝか不自然な感も拭い切れないのである。
そこで被告人菅野が果して如何なるエア・ブレーキ操作をしたかを同被告人の供述によつてみると、「緊急ブレーキに右手をかけて右に廻して二回か三回かやりました。これは右に廻したまゝにしておけば危険だからかけたりぬいたり二、三回やつたのです。」(昭和三九年三月二一日付司法警察員調書)、「右手でブレーキグリツプを止めてあつた安全針線(銅線)を引きちぎつてグリツプを二回転したところいきどまりましたが制動効果が感じられなかつたので一回転戻して又一回転させてみましたがやはり制動効果はありませんでした。」(昭和四一年三月四日付検察官調書)、「安全線を切つて右に一杯回したのですがブレーキ効果がないように感じましたので一度緩めてからもう一回ぐつと締め直したのです。タイヤのパンクを考えて一度緩めたのではありません。もし制動効果がある事がわかつていたらオンにした儘でいたと思います。なお最初の時も一度締めて制動効果を感じないので回し方が足りないのかと思つてもう一度ぎゆつと右に回しましたが、その時はこれが効いたかどうかわかりません。少し緩めて締め直したのはその後の事です。」(昭和四一年四月二一日付検察官調書)というのであつて、もし右供述どおりだとすれば同被告人がエア・ブレーキ操作時に制動効果を感得しなかつたのは、事実としてもそのことでかえつて右一杯までノブを廻しているのであり、またノブの戻し方も右手で二度廻しのうえ一度戻しというのであるから決して元のオフの位置まで戻したわけでもないことが窺えるのである。
他方本件にあつては、既に認定したとおり、まずフツトブレーキの故障に続いて操作したエア・ブレーキがもし正常ならば機構上左右主車輪ともに同時に作動すべき筈であるのに右主車輪については二〇〇メートル余に及んで作動が遅れる不具合が発生しており、この事実を加えて被告人菅野の前記供述をみるとき、やゝ不自然な前記断続ブレーキ痕の存在は、左主車輪についてもなにがしかの不具合があつたのではないかとの疑いさえ抱かせるものであり、直ちに同被告人のエア・ブレーキ操作に不手際があつたと推認することはできない。
結局、被告人菅野の前記供述によれば、同被告人が行なつたエア・ブレーキ操作は全く理想的に完璧であつたとまでは断定できないものゝ、概ね前記運航規程に定められた方法に則つており、本件のような緊急時に始めて操作した方法として適確性を欠いた過失があつたものとは到底認めることができない。
2 第二、第三両過失について
右両過失についての事実関係は相互に関連するので同時に検討する。
検察官は、被告人両名は、リバース音の異常、減速感の欠除、特に被告人三島についてはリバースライト不点灯等によりリバース操作後少くとも約四秒で本件事故機のリバース故障に気付くべきであるのに、現実にはその間九秒もしくは一一秒もかゝりその後の必要な操作を著しく遅らせたと主張し、右所要時間の根拠として木村秀政鑑定書ないし被告人両名の供述をあげるのである。
そこでまず右木村鑑定書をみると、その八項において、被疑者、目撃者らの供述を参考に本件事故機の滑走路上における各関係位置を推定した結果が示されているが、これには又それぞれの速度と各地点間の所要時間が併記されているところ、これによれば、リバースゲイトに入れリバース作動音が聞こえるまで三秒、リバース作動音が聞こえレバーを更に下げるまで四秒、その後リバース故障に気付くまで二秒とされ、結局リバース操作後故障に気付くまでの所要時間が九秒と計算されることは検察官主張のとおりである。
しかしながら、右はもともと各位置の推定が主眼の鑑定であつて、現実にも位置に関しては一〇メートルないし三〇メートルの誤差幅(時間にして一秒近くにも算定されるが見込まれているのに対し時間の方は二、三、四秒と整数でもつて表わされているところからも考えると、右時間はむしろ各位置推定の根拠数値として被告人らの供述などから概略で推定したものとうかがわれるが、これが必ずしも正確なものでないことは、基礎供述自体もともと計測に基づかない粗雑なものであることから容易にいえるところである。
なお、右木村鑑定書第八項の鑑定は、本件事故機の「主車輪接地」から滑走路逸脱寸前の「操縦桿を引く」までの過程を一一箇所の関係位置について距離、速度を割出し、それぞれの間隔である一〇区間についての推定所要時間を掲記しているのであるが、そもそも「主車輪接地」が二八〇メートルないし三〇〇メートル地点に機速九〇ノツト(ただし、計器指示速度即対地速度としている)で接地したとする点において既に本件事故機の現実の接地状況(三〇七メートル地点に機速一〇〇ノツト強)といさゝかそぐわないし、その他同鑑定の推定諸元とされる各関係者の供述の信憑性ないしは推定に用いた計算の前提である各減速度(重力加速度)が仮定に基づいての一応の近似値に過ぎないことなども勘案すれば、木村鑑定人自身が認めるように、その推定結論が厳密正確に事実を再現しているか疑問なきとせず、少くとも相当程度の誤差を見込まざるを得ないのは当然である。
そこで念のため、弁護人も主張するように、前記一〇区間について同鑑定書に示された各距離、速度、時間の関係を検討してみるのに、右各区間に距離を所要時間で割つた平均速度は、主車輪接地時から順次八二・五―九八・〇―六八・〇―六五・五―五三・四―七八・〇―五八・〇―三九・〇―九二・五―五八・五各ノツトと変化していくことが知られるが、これは鑑定結論の各推定速度と全く合致せずそれも平均速度が推定速度の期首、期末の最大速度を上廻つたり、最少速度を下廻るなど明らかに事実上あり得ない対照を示しているばかりでなく、右平均速度そのもののバラツキ方も不自然を極め、例えば、主車輪接地後自然減衰こそ予想され何ら加速要因が考えられない第一区間から第二区間にかけて速度が増大し、殆ど速度変化がない筈の第八区間において前後区間と比べて極端な低速となつており、さらには、被告人三島のレバー操作により相当な加速が行なわれた筈の第一〇区間が前区間より著しく減速しているがごとくで、これらが単に推定上の誤差の範囲を越えるものであることはいうまでもない。
以上のとおり、前記木村鑑定書第八項に示された推定結果については、その正確性に多分の疑義があり、被告人両名がリバース操作後その故障に気付くまでの所要時間の算定資料とするのは適当でない。
つぎに、検察官は被告人両名の関係供述をあげるのであるが、これまた不確実な推定地点を基準に距離を割り出したうえ実状を大きく下廻る七〇ノツトの機速を前提に計算した内容のものであることなどからみれば、確定的な所要時間立証の根拠となし得ないことは同様である。
ところで本件事故機に起きたリバース故障の態様は、当初から全くリバースが作動せずあるいは片側リバースのみが故障した場合ではなく、前記認定のとおり、右側プロペラはリバース作動しなかつたものの左側プロペラはいつたん正常にリバース作動を始めプロペラのピツチ角もリバース側に変化しつゝこれにつれていわゆる特有のリバース音も発生させながら完全にリバースに入りきらぬうちに(ピツチ角がマイナス八度に達すればリバースライトが点灯し、後は自動的にリバースが完成される機構になつている)これまた故障しプロペラプレードは正ピツチに戻り両リバースとも故障するに至つたという非常に変則的な形態のものである。
そこで右のような態様のリバース故障を起した本件事故機の正操縦席にあつて機長見習のため操縦訓練をしていた被告人菅野ならびに副操縦席にあつて副操縦士としての任務を果たすと同時に教官として適宜菅野に指示注意を与えるだけでなく、ステアリングおよびエア・ブレーキの両装置を除いては何時でも必要な操縦操作を取り得る立場にあつた被告人三島においては、果してどの段階で右故障を覚知し、その後如何なる措置をとるべきであつたかが検討されなければならない。
ここで、被告人両名が何時どのようにして本件リバースの故障に気づいたかを眺めると、被告人菅野は、副操縦席にあつた三島がラツチを引くと同時にスロツトルレバーをリバース範囲に入れ二、三秒後にリバース音を聞き出力増加のチヤンスを待つたが、減速感がなくまた教官である三島から何の指示もないことに多少の不安を覚えリバースライトを見たら不点灯であつたのでリバースの正常さに疑念を持ちいわゆるチエツクのために若干出力を加えたところ推力を感じてリバース故障に気付いて「リバースが効かない」と叫んだ。というのに対し、被告人三島は、同じようにリバース音の発生を耳にするとともにR・P・M計(エンジン回転針)の指針がリバース作動を現わす特有の昇降を示すのも確認したことでリバースが正常に作動しているものと判断したその折急に機が僅か左方に偏行したのに気付いて菅野に「真直ぐ、真直ぐ」と注意したが直ぐに偏行が直つたため出力の様子をマツプ計で確かめたところ、いまだ二二、三インチの程度にとどまつていたので教官の立場において自からスロツトルレバーを引いて三〇インチまで出力を加えた際菅野の「リバースがきかない」という叫び声を聞いてリバース故障に気付いたその間被告人三島はリバースライト点灯の有無を見落していたというのである。
検察官は、右のような事実関係において、被告人両名とも冒頭掲記の諸状況より判断し、リバース操作後約四秒でその故障に気付くべきであり、特にリバースライトの点灯の有無の確認を怠らなければリバース作動途中で発生した本件のごとき態様の故障に対しても気付くべき時間の長短はないのに、不注意によりいずれも発見が著しく遅れ、あまつさえ被告人三島においてはリバースライトの点灯の有無を確認するなどでリバース作動が正常であることを見きわめないまゝスロツトルレバーを一気に約三〇インチまで押し下げて出力を増加し、本件事故機をかえつて加速させる過失があつた旨主張する。
しかしながら、本件において被告人両名が故障に気付くに至つた時間自体を正確に算定するのが困難であることは既述のとおりであつてかれこれ数値的に比照することはできないものゝ、もともと過失の有無は行為者が置かれた具体的状況の下で判断するのが当然である以上、むしろ前記被告人両名の現実に行つた各操作ないし認識等を前提として、同人らと同じ地位、身分、職業の平均的通常人を基準に果して故障に気付くまでの行為(不作為も含め)の中で非難に値する不適切なものがあつていたずらに時間を空費したところがあつたかどうかを吟味する方がより適切な結論に到達できるものと考える。
よつて案ずるに、まず被告人菅野についてみれば、同被告人のリバース操作に関する前記一連の行為の中にはとりたてゝ怠慢と咎め立てるほど緊張を欠いたものはうかがえず、強いて取り上げればパワーアツプ時期について被告人三島の合図ないし指示を予期して待機した時間的ロスが何ほどかあつたと推認されないでもないが、これとても被告人菅野は機長見習として始めて乗客を乗せた本件事故機を操縦して特に困難な着陸訓練を行つていた立場の者であつてみれば、着陸時の重要操作手順の一つであるリバースの出力増加措置をとるに際し全く自からの判断に頼らず教官である被告人三島の指示を得ようとした態度をもつてとりたてて非難すべき理由があるとは思料されない。
なお同被告人は減速感の欠如等によつて早くから一抹の不安は抱きつゝ最終的にいわゆるチエツクパワーを入れてみることで確定的にリバース故障を了知したものであるが、本件のような変則的なリバース故障に対しては他の徴候だけで直ちに故障を断定できなかつたとしても通常の操縦士の能力からみて無理からぬものと解され、右チエツクパワー入れが不当視されるものでは決してない。
被告人菅野について何らの注意義務違反も見出せない。
つぎに被告人三島についてみると、同被告人はリバースライトの確認を落とし、かつ被告人菅野が既に減速感欠如などを感得して一応リバースの不具合を懸念している段階にあつていまだ何の疑問を持たないまゝ最後に同被告人の叫び声で始めてリバース故障に気付くに至つたことなどが一見して不適切、かつ怠慢な態度に見えなくもない。
しかしながらこゝで問題になるのは要するに、その置かれた状況下にあつて平均的通常人ならば当然なすことができかつなすべきであつた行為を怠つたか、あるいは刑法上の過失として処罰に値するほどの故障発見の遅滞があつたかということである。このような観点で眺めてみた場合、まず、リバースライト未確認の点に関しては、被告人三島は、そのライト点灯予定時期をただ漠然と見過ごしていたというわけではなく、リバース操作後リバース音を聞くと同時に回転計の指針がリバースの際の特徴ある動きを示したのを見てリバース作動が正常であると判断した矢先(同被告人がみた回転計の指針の位置からみてリバースライトの点灯予定時期の直前ころと推定できる)機首がわずかながら急に左に偏向したためこれに気を取られ被告人菅野に注意してその修正方を促がしているうちリバースライト点灯の有無を見逃したというもので、右のように着陸滑走の際の高速状態での機首偏向はそのまゝ放置した場合重大事故にもつながりかねないので直ちにこれを修正する必要があるところ自から修正手段(機首の方向を保持是正するステアリング装置は正操縦席側にのみある)を持たない被告人三島が正操縦席にあつた菅野に修正措置を講ずるよう注意を与えたのは、教官としての立場を除外してみても、やむを得ないことであつてその間他の行為を期待できない状況にあつたと認められるのであるから、このことのためリバースライト点灯の有無を確認できなかつたとしてもこれを責めることはできない。
さらに被告人三島が右のような機首偏向に気をとられるまでの時点で減速感の欠如等他の状況から本件リバースの故障に気付き得なかつたかどうかを案ずるのに、さきに述べたように右時点はいまだリバースライト点灯予定時期の前ころと推認されるところ、一方で不完全とはいえリバース音を聞きまた回転計の指針がリバース作動を示す特徴ある昇降を示すのを一応確かめたころに引き続き機首が偏向するといつた異常な状況の下にあつてその段階までにリバース故障を確実に察知するということは、通常一般のパイロツトとして必ずしも可能なこととは認め難く、同被告人に刑法上の非難を向けなければならないほどに注意力の懈怠があつたとはいえない。
また同被告人のリバース故障の発見が若干遅れたことは否めないにしても、その遅滞の時間は、前記機首の偏向に気を奪われその修正を図ろうとしていた時間とほぼ一致することになり、それ以上に怠慢による遅滞があつたとは認められないのであるから、以上のような具体的状況を考慮すれば、同被告人の右程度の故障の発見の遅れをもつて直ちに過失責任を問うのは相当でない。
つぎに、被告人三島が本件事故機の偏向が是正された直後ころ自からスロツトルレバーを約三〇インチまで押し下げて出力を加えた操作方法はかえつて本件事故機に推力を加える結果をもたらし、これが客観的に不適切な行為であつたことは検察官指摘のとおりである。
しかしながら、被告人三島は当時リバース作動が正常であるという誤つた認識のもとに、既に本来の出力増加時期を経過した時点に教官としての立場から被告人菅野に代つて直接リバース操作を行なつたものであるところ、前述のとおり右の誤認についてあえて過失責任を問えない以上は、右被告人三島の出力増加の所為をあらためて過失行為として咎めるわけにはいかない。
(なお、検察官は、リバース操作時における出力増加はリバースライトが点灯したことを確認したのち始めて行うべきもののようにいうが、本件事故機の運航規程上にそのような定めは見当らず、かえつて同規程第二章通常操作手順中には「リバーシングは高速時に最も効果的であるから前輪が滑走路に接着した後はできたらすぐにリバースにする。リバースになつたことの指示は回転計の方が一貫して信頼できるので副パイロツトは回転計の昇降による指示をみたら直ちにプロペラがリバースしたと発唱する。リバースライトはリバースしたことを確認する第二手段として使用されるべきである。」旨規定されてあり、これによると、パイロツトは回転計の指示でリバース作動を確認さえすればリバースライト点灯前の段階でも出力増加して差しつかえない趣旨がうかがえるのであつて、現実にはリバースライトが点灯してから出力増加をする操作方法が一部で行われていたとしても、右運航規程に反しない所為が違法視されるわけでないことはいうまでもない。)
3 第一過失について
本件において、被告人菅野は機長見習として本件事故機の正操縦席につき、被告人三島は教官としてその副操縦席につき、被告人菅野の実地の操縦訓練のため適宜被告人三島が操縦技術上の指導、助言を行ないつつ被告人菅野が本件事故機を操縦しながら鹿児島空港から本件大分空港に飛来して着陸の際本件事故が発生したものであるが、被告人菅野は機が着陸態勢に入るまでに再度にわたつて着陸時の機速(フエンス・スピード)を被告人三島に尋ねたのに対し、同被告人は被告人菅野の技術に応じた適当な速度として一一五ノツトを指示し、被告人菅野は運航規程に則つた基準の速度よりいささか大きいことを知りながら右指示速度に従うこととし、実際にも大分空港滑走路北西側末端を目標どおり一一五ノツトの機速で通過進入したことは既に認定したとおりである。
こゝでまず滑走路末端を一一五ノツトで通過した所為が検察官主張のとおり機速過大の過失行為に該当するとした場合、右所為と被告人両名との関係如何を案ずるに、被告人菅野が機長見習として教官である被告人三島の指示に従つて右フエンススピードを選んで運航した経緯において、被告人菅野はもともと本件事故機を操縦するにつき法定の有資格者として正操縦席についていたものである以上前記被告人三島の指示とても自己独自の判断を全く排除され絶対的にこれに服従しなければならないわけのものでもない反面、これが操縦訓練中の教官の指示ともなれば明白な誤りででもない限りそれに反した操縦方法もとり難いという事実上の拘束関係もあり、してみると被告人三島の再度にわたつての前記指示は単なる助言指導の域を越えるものであつたことは当然であつて、これに加えて本件事故機の操縦機構はいわゆるダブル装置になつているため副操縦席にある被告人三島自身が何時でも教官としての立場から直接操縦に介入することができる仕組になつていたことも総合して考えれば、結局当時現実に正操縦席にあつて操縦操作を行なつていたのは被告人菅野であつたとはいえ、こと滑走路末端を所期の一一五ノツトで通過したその運航行為に関しては、被告人菅野はもちろん被告人三島もこれに共同して参加していたものと認めるべきである。
そして、もし右共同運航の所為が客観的注意義務違反を含んで法益侵害の危険を有する行為とするならばそれは被告人両名の共同過失と評価するのが相当であり、以下被告人両名の右過失の有無について判断することとする。
ところで、およそ過失犯の成立は、理論的順序としてみるならば、まず人身の死傷を伴う法益侵害すなわち結果の発生を起点とし、そこから因果の系列を過去に遡り、何か右結果の発生を回避することが可能な態度(行為)があつたかを考え、そのような態度があり得ることが判明したのちあらためて当該行為者に対して右結果の発生を回避するための右態度を要求することが社会的に相当であるかどうかを検討し、その際前提として右の行為時を基準に右の結果を見とおせたといえるかつまり予見可能性を吟味し、そのうえで当該行為者にそのような態度をとることを期待できたかを確かめ、それらすべての要件を充足して始めて過失犯が成立するというべきである。
しかしながら、現実の審判に当つては、一応右の検討のすえ過失ありと主張する検察官の訴因を中心に審理を行ない、結果を回避できるであろう態度を取り上げ、かかる態度を義務づける根拠を予見可能性に関連づけながら法令、慣行、条理等に則り社会的相当性の見地から探索し、もしこれに違反すれば具体的に発生した結果を含めその種の人身事故を惹起する一般的危険性があるような義務を基準として定めたうえ、右基準を逸脱する行為があればこれをとりあえず客観的注意義務に違反する過失的行為としてとらえ(例えば自動車のスピード違反行為)、しかるのちに具体的に発生した結果との間に刑法上の因果関係の有無を検討して具体的に過失犯の成否を考えるといつた認定順序をたどらざるを得ない場合があるのも訴訟法上、事実究明の手段としてやむを得ないところである。
さて以上の前提のもとにあらためて本件を案ずるに、まず本件事故機の滑走路末端通過速度一一五ノツトは、運航規程が同機の重量(三八、八五〇ポンド)に対応して定めている基準速度(ノーマル・オーバー・ザ・フエンス・スピード)一〇四ノツトより約一〇・五パーセントも過大であることが明らかである。
しかし、右運航規程に定められている運航、操縦方法からいささかでもはずれればそれが直ちに業務上の過失を問われる注意義務違反とされるわけのものでないことはいうまでもなく、具体的に生じた結果との関連で、規程の趣旨、目的を考慮しつつ、予想される結果の蓋然性ないし重大性等に応じまた行為当時の具体的な諸情況も勘案しながら社会的に相当な範囲で刑法上行為者にどのような内容の義務を課するのが適切かがたずねられなければならない。
そこでまず右運航規程中に定められたフエンス・スピード(ノーマル・オーバー・ザ・フエンス・スピード以下単にフエンス・スピードと表示する)の意義ないし目的について考究してみるのに、取調べた各航空関係者らの供述を通じてみても、それが航空機の安全着陸を目的とした滑走路末端通過時の基準となるべき速度という以上に必ずしも統一的概念が明確に示されているとはいい難いが、亀山鑑定書において、「飛行機には通常種々な態様の着陸方法があるが、そのうち常に安全であり、円滑かつ定常的な操作によつて処理し得、かつ出来得る限り着陸距離を短くし得る方法を選び、これを基準として着陸性能を常に維持するためその着陸性能を決するとともにその性能を維持するのに必要な条件に合致するよう操縦を行うのが肝要である。スレツシユホールド・スピード(フエンス・スピード)は本来機種ごとに着陸性能の中に組み込まれて定められるべきであり、滑走路の長短で左右されるものではない。」旨説明されていることなどに鑑みると、フエンス・スピードが運航規程中に定められていることの趣旨は、およそ超高速交通機関である航空機の運航に関しては、いつたん操作の手順を誤つたときはたちまち悲惨かつ重大な人身事故を惹き起す危険をはらんでいるところ、なかでも機速を漸次失速速度に近づけながら重量のある機体を地上に接地させる着陸時の操縦は微妙であつて高度の技術が要求される場合であり特に危険も、高いわけであるから、その際の運航、接地の安全を期するためには接地直前の操作手順をできるだけ円滑かつ定常的にすることつまり数ある操縦方法の中でも最も普通の方法によらせるのが望ましく、そのためにはまず理想的接地が最もし易い速度として着陸直前の機首引起し場所とも一致する滑走路末端での適正速度を実験的に算出してフエンス・スピードと定め、これを着陸前の最後の目標としてパイロツトに遵守させることにより着陸時における航空機運航の円滑と安全を目的としたものと解される一方、右フエンス・スピードを守らないことによつて起り得る危険としては、その逸脱の程度に応じ、低速の場合に失速あるいはアンダーシユート(滑走路前着地)、高速の場合に機の偏行、蛇行、オーバーシユート(滑走路外逸脱)もしくは異常接地の衝激等に伴なう機体、機器の損壊しいては乗員の死傷等が一般的に予想されるのである。
さてフエンス・スピードが右のように着陸時における航空機の運航の安全と円滑を目的として定められたものであるなら、パイロツトとしてこれを遵守すべきは当然でありしかも全く厳格に速度調整を行うことが困難な航空機の特性も考慮した妥当な許容幅を見込んだ基準であればこれを一応、パイロツトの遵守すべき業務上の一般的注意義務とすることは相当である。
そしてその許容幅についてみるのに、本件事故当時において航空局などが有権的に定立し指導したフエンス・スピードの範囲は見当らないが、航空機事故の結果の重大性を考慮するとき、右許容幅はフエンス・スピードを中心にパイロツトが誤差を見込んで一般に守り得る速度とすれば良く、その後の行政指導の内容を参考にしてみればこれは結局フエンス・スピードのプラス・マイナス五パーセントぐらいとするのを相当と認める。
してみればもしパイロツトが右フエンス・スピードのプラス・マイナス五パーセントの範囲外の機速で滑走路末端を通過して着陸しようとして人身事故を惹起せしめた場合、右の基準から逸脱した行為と結果との間に刑法上の因果関係があつたならば、過失犯の成立が問われざるを得ないのは当然である。
なお、弁護人は、本件事故当時フエンス・スピードを遵守して着陸する方法は厳格には要求されていなかつたし、運航規程中にもその旨の明文はなく、またフエンス・スピードが着陸前点検項目になつていないことから、これは単に参考速度に過ぎないと主張するのであるが、フエンス・スピードの意義、目的が前説示のとおりであればその規範性はそれ自体の中に存在するものともいえるけれども、実際にも楢林寿一が「運輸省に居て運航規程を認可する際会社幹部にはオーバー・ザ・フエンス・スピードを滑走路末端通過速度として運航するよう厳重に申し渡してそのように行政指導をしていた」旨(昭和四一年一二月二〇日検察官調書)いい、被告人らも本件事故前ころから教官を通じて基準速度を守るよう強調されたことを認めるほか、何よりも本件において被告人菅野自身が本件事故当時再度にわたつてフエンス・スピードを被告人三島にたずねたという事実こそがフエンス・スピードの重要さを物語つているといえよう。
さてそこで、本件について被告人両名の過失の成否を検討するに、まず、本件事故機が滑走路末端を一一五ノツトの機速で通過進入したことは、基準のフエンス・スピード一〇四ノツトを約一〇・五パーセント超過するものでありこれが前記一般的注意義務として定めたフエンス・スピードプラス・マイナス五パーセントの範囲を越えた過大なものであることはいうまでもない。
そこでつぎに右被告人両名のフエンス・スピード過大の義務違反行為が果して本件事故を惹起したといえるか、つまり具体的な過失の存否を検討しなければならないのであるが、さきに認定したとおり本件事故はリバース・フツトブレーキの各故障およびエアブレーキの不具合が連続して発生するうちに滑走路逸脱の事故を起すに至つた特異な案件であつて、もともと本件における程度のスピード過大の義務違反行為によつてこのような形で事故が発生することの結果を被告人両名がその行為当時に一般的にさえ予見することが可能であつたかは多分に疑問がないわけでもないが、まずはその前提として自然的事実的な意味での因果関係の存否を検討し、もしこれが認められたときそのかかわり合い程度も参照しながら結果の予見可能性を吟味してあらためて刑法上の因果関係を推究するのを相当と考える。
よつてまず右自然的因果関係の存否を検討するに、当裁判所が取調べた各証拠中その資料となるべきものとしては、木村鑑定書および比良鑑定書をおいて他に存在しないのであるが、そのうち木村鑑定書については、少くともその第八項に関しては先に検討したとおりその推定諸元に疑問があつてこれを利用し難く、同第七項に算出されている着陸滑走距離の計算も本件事故機のエアブレーキそのものに不具合があつた前提においては既に利用することができず、他方の比良鑑定書は、もともと検察官(竹中知之)が作成した冒頭陳述補足書もしくは弁護人の冒頭陳述に対する意見書各添付の計算書の計算の正誤をただすための鑑定で、おおむねその正しさを確認し、そのうちには本件事故機のエアブレーキのみが有効に作動したものと仮定しての各速度の場合を計算して各着陸滑走距離を答えているが、これまたエアブレーキ不具合の場合に直ちに応用できないのはもちろん、もともと右計算の諸元は、前記木村鑑定における時間、速度を基にして加速度を求めこれを計算の根拠数値にしているところ、この数値の信頼性に問題があることは前同様であるから、いずれにしても本件因果関係の有無を決する証拠にはなり得ない。のみならず、逆に右両鑑定書のエアブレーキ正常作動例における計算数値を参照すれば、かえつて本件事故機が前記許容範囲内のフエンス・スピードで滑走路末端を通過した場合でさえ、本件同様制動機器関係の三つの連続的故障に出くわせばやはり本件事故の結果を避け得なかつた蓋然性が極めて大きい。とすれば、本件にあつて被告人両名は、フエンス・スピード過大で事故機を運航した不適切行為こそあつたのであるが、その速度超過の点に起因して本件事故が発生したことは自然的因果関係の点において既に認め難く、結局、右フエンス・スピード過大の点について被告人両名の過失を問うわけにはいかない。
もつとも、右フエンス・スピード過大の点に関連しては、被告人菅野がことさら滑走路末端上空を低く(五メートル)通過したことの不手際があり、このため機がバウンドするなどの悪影響をもたらしていることからみれば、その際機に衝撃を与えて脚部の各制動機器の故障をもたらしたのではないかという一般的疑問が湧かないでもない。
しかしながら、当裁判所が取調べた証拠の限りでは、もちろんそのような関連が明らかになつているわけでなく、他方で本件事故機は既に製造後約一六年も経過した中古機であることも思えば、機材のもろさがさほどでもない外力によつて故障を生ぜしめたのかも知れないのであつて、訴因にもなつていない右の疑問について当裁判所が進んで探索するのは妥当でない。
4 第一ないし第四の各過失が認められないのは前来説示のとおりであるが、もはや以上の各過失を通じて累加的、併存的に過失競合の場合の検討を要しないのは認定内容によつて明らかである。
なお、本件につき公訴事実を同一にする範囲内でさらに調査してみても、被告人両名にこれまで既に検討を終えた前記訴因とは別個の態様の過失が存在したことをうかがわせる操縦ミス等の行為は見当らず、また本件公訴事実中、航空法等その他の罰則に触れる疑いもない。
第四むすび
以上の検討においてみると、本件事故機が大分空港滑走路に進入、着陸してから本件事故の発生をみるまで、被告人両名の共同もしくは個別の操縦操作ないし措置については、職業的パイロツトの手順として決して最高度の方法と技倆によつたといえないことはいうまでもないが、他方刑法上の可罰対象になり得るほどの大きな不手際もないことになる。しかしながら、現実に起きた本件事故そのものは、二〇名に及ぶ多数の貴重な人命をぐれんの焔の中に奪い去り、さらに二〇名に対して重軽傷を与えるといつた悲惨かつ重大な出来事であつたのであり、その後も続発した他の航空機事故の例も併せて、単なる被告人らの刑事責任の追究とは別にその真の原因の発見に努め今後の戒めとしなければならないことはいうまでもない。当裁判所としては、本件事故は、立証上、三つの制動機器の連続故障の中で不可抗力的に生じたものとみなさざるを得なかつたわけだが、本件審理を通じてはなお、運航規程の徹底等の指導不足、中古機材の永年使用、技倆未熟パイロツトの訓練方法、これに対する監督体勢の不備等々がなにがしかづつ事故に影響していたのではないかを指摘するとともに、多数の人命を預かるパイロツトの操縦に対し一層細心かつ慎重な態度を期待したい。
被告人両名に対してはいずれも本件事故に関して犯罪の証明がなく、無罪を言い渡すべきであるから、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。
別紙一 死亡者一覧表(略)
別紙二 負傷者一覧表(略)
別紙三 (略)